多摩市の歴史
首都圏のベッドタウンとしての成長とニュータウンの形成
現在の多摩ニュータウンの入居が始まる昭和46年まで、多摩市の前身である多摩町は農村の面影を残す人口3万人あまりの静かな田園地帯でした。戦後、首都圏中心部への人口集中と深刻な住宅難に加えて、戦前から鉄道で結ばれていたという好条件も重なり、現在の聖蹟桜ヶ丘駅周辺地域を中心に、都心への通勤者の居住地として多摩町が注目されるようになりました。
その後、市制が施行された昭和46年以降、市の南部地域を中心に多摩ニュータウンが形成され、全国から集まった多くの人々が、さまざまな価値観を共有しながら「新しいまち」づくりを進めてきました。
歴史的文化財
このように、急速に都市化が進んだ多摩市ですが、市内には貴重な歴史的文化財も多く残されています。およそ1,500年も前につくられた、稲荷塚古墳は、全国的にも珍しい八角形の古墳で、東京都史跡にも指定されています。また、明治天皇の数回にわたる行幸を記念して建てられた旧多摩聖蹟記念館は、多摩地域では数少ない昭和初期の西洋建築物で、市の指定文化財になっています。このほかにも、既存地区・ニュータウン地区の双方から多くの文化財が発掘されています。
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