旧多摩聖蹟記念館 常設展示
旧多摩聖蹟記念館の常設展示を紹介
旧多摩聖蹟記念館
1930(昭和5)年、明治政府の宮内大臣であった田中光顕(たなか・みつあき 1843-1939年)により、明治天皇や皇族の連光寺行幸・行啓を記念して「多摩聖蹟記念館」が建てられました。この建物の設計者は関根要太郎(せきね・ようたろう 1889-1959年)と、彼の事務所に勤務していた蔵田周忠(くらた・ちかただ 1895-1966年)です。彼らは設計にあたり、当時としては、最先端のデザインを採用しました。
同館は市の指定有形文化財であり、文化財として保護・保存を図るとともに、市民ギャラリーとして広く一般に開放しています。2002(平成14)年11月28日付で、「東京都の特に景観上重要な歴史的建造物等」に選定され、また、DOCOMOMO Japanによる2021年度「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」の1つに選定されるなど、建築の面からも高く評価されています。
渡辺長男「明治天皇騎馬像」(彫刻)
ホール中央に明治天皇騎馬像があります。日本橋の「獅子・麒麟像」の制作者でも有名な渡辺長男(わたなべ・おさお 1874-1952年)が、田中光顕の依頼を受けて1930(昭和5)年に制作したものです。馬に乗った明治天皇は、1881(明治14)年の連光寺行幸をモデルに作られたといわれています。
堀田清治「基礎工事」(油絵)
この作品は、福井県出身の洋画家・堀田清治(ほった・せいじ 1899-1984)の作品です。堀田は、日展の文部大臣賞を受賞したこともあります。1930(昭和5)年頃に描かれたこの作品には、多摩聖蹟記念館建設の折り近在の有志の方々の勤労奉仕による基礎工事の様子を描いたと言われています。
連光寺御猟場の動物たち(剥製)
皇室以外の狩猟が禁じられた連光寺御猟場内に生息していた動物の剥製を展示しています
常設パネル展示
旧多摩聖蹟記念館やそれにかかわる多摩地域の歴史を、収蔵品のパネルを中心に展示しています。
五賢堂
1967(昭和42)年、明治100年を記念して、多摩聖蹟記念館の正面に「五賢堂」が建てられました。堂内の見学は、旧多摩聖蹟記念館の開館時間内に事務室にお申し出ください。
※ハチの巣の営巣などで安全確保が難しい場合、公開を停止することがあります。詳しくは、教育振興課文化財係までお問合せください。
小金丸幾久「五賢人胸像」(彫刻)
五賢堂内に安置される本作品は、長崎県壱岐郡出身の彫刻家・小金丸幾久によるものです。向かって右から「木戸孝允像」、「岩倉具視像」、「三条実美像」、「大久保利通像」、「西郷隆盛像」の5体の胸像が置かれています。
五賢堂は、明治百年記念事業の一環として明治維新五賢堂建立委員会によってその建立が計画され、1968(昭和43)年11月3日に建立式典が行われました。銘板には、明治維新にあたり「新日本の建設に偉勲を樹てた」5人の功労を後世に伝えるために建てられた旨が記されています。
本作品は、五賢人に伊藤博文ではなく西郷隆盛を加えている点に特色があります。『多摩聖史』(財団法人多摩聖蹟記念会)には、「維新の大業は西郷南洲なくして語ることができない」との吉田茂のすすめにより、隆盛が加わったことが記されています。加えて、明治維新五賢堂建立委員会の委員長が岩倉具栄であったこともこれと無関係ではありません。具栄は、父方の曽祖父が岩倉具視で、母方の祖父が西郷従道(隆盛の弟)です。隆盛と親戚関係である具栄が委員長の地位にいたことは、隆盛を五賢人に加える後押しとなったと推察されています。顔貌表現については具栄のような近親者に確認、制作されたと考えられ、実際の容姿が反映されています。
小金丸幾久「明治天皇立像」(彫刻)
この銅像は、「五賢人胸像」と同様に明治百年記念事業として、彫刻家・小金丸幾久(こがねまる・いくひさ 1915-2003)によって作られました。当初は多摩聖蹟記念館に増築された特別室に安置されていましたが、多摩市に移管される時に行われた改修工事の際に、五賢堂内に設置されました。
このページに関するお問い合わせ
教育振興課 文化財係
〒206-0025 東京都多摩市永山一丁目5番地 ベルブ永山3階
電話番号:042-338-6883 ファクシミリ番号:042-337-7620
電話番号のかけ間違いにご注意ください
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。