旧多摩聖蹟記念館 2023年度 春季企画展「生誕180年 田中光顕 最後の志士と呼ばれた男」

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ページ番号1009626  更新日 2023年3月16日

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イベントカテゴリ: 文化

旧多摩聖蹟記念館の設立者・田中光顕(1843~1939)。幕末・維新期は土佐勤王党に所属して維新志士として活躍し、維新後は政治家として警視総監や宮内大臣などを歴任しました。そして、明治天皇崩御後はその顕彰に努め、昭和5年(1930)に多摩聖蹟記念館を設立しました。また政治家として活躍する傍ら、維新志士らの顕彰に努め、多くの書画を蒐集したことで知られます。
本展では、土佐勤王党関係者の書画や資料を紹介し、幕末の土佐勤王党の活躍とともに光顕の維新志士としての活動を紹介します。これに加え、政治家時代に関わりの深かった伊藤博文や岩倉具視の書、多摩聖蹟記念館の設立に関する資料などを展示し、若年から晩年までの光顕の人生を振り返ります。

写真:旧多摩聖蹟記念館 2023年度 春季企画展チラシ
旧多摩聖蹟記念館 2023年度 春季企画展「生誕180年 田中光顕 最後の志士と呼ばれた男」
開催期間

2023年3月18日(土曜日)から2023年6月11日(日曜日)まで

開催時間

午前10時 から 午後4時 まで

開催場所

旧多摩聖蹟記念館(多摩市連光寺5-1-1 都立桜ケ丘公園内)

休館日

会期中の休館日
毎週月曜日・水曜日、5月9日(火曜日) ※5月3日(水曜日・祝日)は開館

料金

無料

交通案内

聖蹟桜ヶ丘駅から永山駅行き(聖ヶ丘団地経由)バス「記念館前」下車 徒歩約5分
永山駅から聖蹟桜ヶ丘駅行き(聖ヶ丘団地経由)バス「記念館前」下車 徒歩約5分
または「桜ヶ丘公園西口」下車徒歩約10分
※車でお越しの方は公園の駐車場をご利用ください。
問い合わせ
多摩市教育委員会教育振興課文化財係
電話番号042-338-6883

展示のみどころ

幕末の田中光顕 土佐勤王党を中心に

田中光顕は天保14年(1843)9月25日、土佐藩の家老・深尾家の家臣である浜田金治と金沢正敏の娘・献の長男として、土佐国高岡郡佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)に生まれました。旧名は浜田辰弥です。
土佐藩士・武市半平太が土佐勤王党を結成すると、光顕はこれに参加しました。叔父の那須信吾は吉田東洋暗殺の実行犯であり、彼からの思想の影響もあったと思われます。
文久3年(1863)、土佐勤王党が八月十八日の政変を契機として弾圧されると謹慎処分となり、翌元治元年(1864)に同志を集めて脱藩しました。その後は、中岡慎太郎の下に身を置き、長州藩士らと協力して薩長同盟の周旋に尽力しました。慶応3年(1867)に中岡慎太郎が坂本龍馬とともに暗殺された際には現場にいち早く駆けつけ、重傷の中岡から経緯を聞いたといいます。中岡の死後は陸援隊を統率し、倒幕運動に奔走しました。
ここでは、土佐勤王党関係者の書画や資料を紹介し、幕末の土佐勤王党の活躍とともに光顕の活動を紹介します。

写真:公文菊僊「坂本龍馬肖像」
公文菊僊「坂本龍馬肖像」年不明(多摩市教育委員会蔵)
写真:武市半平太「山水之図」
武市半平太「山水之図」弘化末年(1847~48頃)(多摩市教育委員会蔵)

政治家としての田中光顕

維新後、新政府に出仕した光顕は、政治家として活躍しました。明治4年(1871)には岩倉使節団の理事官として欧米を巡遊、帰国後は陸軍の会計関係の要職を歴任し、明治14年(1881)に陸軍少将に就任しました。その後、元老院議官や初代内閣書記官長、警視総監、学習院院長などの要職を歴任しました。
そして、明治31年(1898)の第三次伊藤内閣において宮内大臣に就任し、約11年間明治天皇に仕えました。この間、迎賓館を始め、全国に御用邸、離宮を建設しました。しかし、明治42年(1909)、収賄疑惑の非難を浴びて辞職、政界を引退しました。
ここでは、政治家時代に関わりの深かった岩倉具視や伊藤博文らの書や大正天皇の宸翰などを展示し、政治家としての光顕の活動を紹介します。

写真:岩倉具視「百千草」
岩倉具視「百千草」年不明(多摩市教育委員会蔵)

田中光顕による維新志士顕彰

政界を引退した光顕は、維新志士たちの顕彰に心血を注ぎました。高杉晋作の漢詩集『東行遺稿』(大正5年)の出版や武市半平太の遺族の庇護、維新志士たちの遺墨展の開催や維新志士に関する講演会の開催などさまざまな活動を行いました。これに加え、志士たちの書、遺品などを蒐集しました。
光顕が蒐集した書や遺品はその後、多摩聖蹟記念館(現:旧多摩聖蹟記念館)、常陽明治記念館(現:大洗町幕末と明治の博物館)、青山文庫などに寄贈されました。
ここでは、光顕の維新志士顕彰にまつわる各種の資料を紹介し、その実態に迫ります。

写真:田中光顕著「維新風雲回顧録」
田中光顕著『維新風雲回顧録』昭和3年(1928)(多摩市教育委員会蔵)

田中光顕による明治天皇顕彰

永らく宮内大臣を務めた光顕は、勤王家だったことで知られています。それは、勤王家として名高い徳富蘇峰に「明治天皇から最も深い御信任を受け、また最も能く明治天皇の御性格を知つておるのは田中伯である」と言わしめるほどでした。
光顕は明治天皇逝去後、明治天皇の顕彰に努めました。そのとき注目した土地の一つが「連光寺」です。明治天皇が兎狩や鮎漁のために何度も訪れたこの地に目を付けた光顕は、昭和3年(1927)に聖蹟奉頌連光会を立ち上げ、自ら会長に就任し、「聖蹟」の保存に努めました。その一環で設立されたのが、多摩聖蹟記念館です。
ここでは、光顕の明治天皇顕彰に関する資料や、多摩聖蹟記念館設立にまつわる資料を紹介します。

写真:田中光顕「和歌色紙」
田中光顕「和歌色紙」昭和9年(1934)(多摩市教育委員会蔵)
田中光顕他 多摩聖蹟記念館前庭において記念写真
「田中光顕他 多摩聖蹟記念館前庭において記念写真」年不明(多摩市教育委員会蔵)

イベント情報をiPhone・iPad端末のカレンダーに取り込めます。

このページに関するお問い合わせ

教育振興課 文化財係
〒206-0025 多摩市永山一丁目5番地 ベルブ永山3階
電話番号:042-338-6883 ファクシミリ番号:042-337-7620
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