多摩のパパにインタビュー! vol.5

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ページ番号1014379  更新日 2024年3月1日

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パパインタビュー vol.5

第5回目は、まだ育休制度が整っていない時代に3人の子育てをされてきた、先輩パパ・ママにインタビューをしました。当時の社会環境や生活秘話、共働きをしながら家事や育児をどう乗り越えてきたのかなどを語っていただきました!

今回お話を聞いたのは…

Aさんご夫婦(共に60代)
パパ…ひろさん(仮名) 公務員(趣味:映画鑑賞)
ママ…ゆうさん(仮名) 無職(趣味:家庭菜園)
子ども…長男・次男・長女 ともに30代
 

パパインタビュー vol.5(テキスト版)

育休制度のない時代 支え合って乗り切った共働き子育て

――今日は、よろしくお願いします。何度もお願いして、ようやく実現しました(笑)。

ひ(ひろ):最初は、私の話なんてと思っていたんですけどね(笑)。育休もとれない、女性の寿退社がまだ多かった時代の子育てだったので…

――そういう時代に、お2人でどう子育てをされてきたのか、振り返って思うことなど是非うかがいたいと思います。お子さんは3人いらっしゃるということで。

ゆ(ゆう):もう3人とも成人してます。

――まず、当時の家事の分担はどんな感じだったのでしょう?

ゆ:「親にはあまり頼らず2人で子育てする」っていう風に最初から決めていました。2人とも家事が得意というわけではないし、初めての育児でしたし、手さぐりだったけれど…努力しながら。例えば保育園の送り迎えは、朝は私の出勤が早かったので、夫が送って、夕方は退勤の早い私がお迎えに行って。ただ育児休業がまだなくて…

ひ:まだ労働基準法が定める産前産後休暇しかなくて、育休の仕組みがなかったんですよね。乳児を預かってくれるところは、認可外保育所しかありませんでした。当時は世田谷に住んでいて、朝、まだ首の座ってない赤ちゃんを抱いて連れて行ったんですが、当時はほんと奇異な目で見られてね。

ゆ:そうね。今だとお父さんが朝保育園に送るなんてのは普通だけど、ちょっと「えっ?」みたいな、イヤな目で見られていた。私の職場には早番と遅番のシフト制があったので、子育て中は早番だけにしてもらっていました。16時半に退勤して18時ギリギリで迎えに行く…そういう感じで乗り切りました。少し大きくなって、区立の保育園に入れることができたときは、ホっとしました。

ひ:マスメディアの世界で働いていた私の方は9時半に出勤すればよかったから融通が効きました。それでも遅刻が多くて怒られましたが…(笑)、育児時間などない頃でしたから。その後、区立保育園に入れたわけだけど、延長保育がないから1分も遅れてはいけなかった。

ゆ:18時には先生が門の前で立って待っていてね(笑)、厳しかった!

ひ:僕はある日、大急ぎで迎えに行ったけれど18時10分になってしまって、怒られてしまった。園長先生に「こういう事は二度としないでください!」って…もうちょっと働く人に寄り添ってくれないかなと思いました。多摩市に移ってから私立保育園に預けるようになったら多少の遅刻ではぜんぜん怒られなくて、ホっとしました。

――共働き夫婦には、厳しい時代だったのですね。そこから30年経って、ずいぶん子育てしやすい社会になったなとお感じになりますか。

ひ:でもまだまだ、基本的なところでは変わっていない部分があると思うんですよね。依然としていわゆる「男社会」で、女性に「昔ながらの男性的な働き方」を求めているんじゃないか、って。そこを変えなきゃいけない。

育児の「分かち合い」は助産院で一緒に学ぶところから

――ひろさんの、そういう家事や育児への積極的な意識は、子どもが生まれた後に獲得していったものなのでしょうか?男性があまり育児しない時代で、どのように意識が育っていったのか、あるいは変化があったのか、教えていただけますか。

ひ:僕の両親も、彼女の両親も、共働きでした。なので「子どもができたら妻は家庭に入る」という意識は最初からありませんでした。あとは、知り合いが「男も女も育児時間を!連絡会」という団体で活動していて、そういうアクションを身近で見ていたこともあって、育児に対してはある程度は意識的だったかな、と。

ゆ:出産にも、立ち会いたくてね(笑)。

ひ:そうそう、当時は出産に立ち会うには助産院で出産するしかなかった。だから助産院探しを頑張ったよね。

ゆ:出産前から、一緒に助産師さんからお風呂とかミルクのあげ方とか教わって…「一緒に育てる」のは出産前からスタートしていたと思います。

ひ:世田谷は友達もいてよかったんだけれど、当時の甲州街道沿いは排気ガスがすごくて、洗濯物が汚れるほどだったんです。布おむつの時代でしたから、外に干したおむつが排気ガスで汚れてしまうわけで…それでやはり、もう少し自然環境のいいところへ移ろうということで、多摩市に引っ越してきました。多摩川を越えると空気もすっかり変わって、彼女も僕もすごくホっとできました。そういうタイミングで2人目が生まれたんだよね。

ゆ:そうね、たぶん。2人目は国分寺の助産院にお世話になりました。ちょうど助産院の都合もあって、自宅出産したんです。助産師さんが2人、ベテランの素晴らしい方々が来てくださって。出産は3人とも助産院でお世話になりました。

ひ:そこは夫婦でこだわったところですね。

「ダシって、なんだ?」お互いおおらかに、大雑把に!

――ゆうさんは、ひろさんの家事・育児への姿勢をどのように感じていましたか?

ゆ:最初は、夫はリンゴの皮もむけなかったので、まずリンゴの皮むきを教えて(笑)。でもだんだん作れるようになったので、まぁ、ありがたいという感じでした。

――ゆうさんが、日々「ここは、こうやるんだよ。」って、教えていたのですね。

ゆ:いや、私も家事は得意ではないし雑なので、どっちもどっちというか(笑)、お互いに疲れているし、家事の期待値が高くないんです。

――なるほど、ダメ出しはしない感じで(笑)?

ゆ:そうそう、几帳面だったらなにか言いたくなるかもしれないけれど、私は「しょうがないか~」ぐらいで。

ひ:出汁っていうのが分からなかったよね、僕。お味噌汁に出汁が必要だっていうのを知らなくて、「出汁が入ってない」って言われて。「ダシって、なんだ?」っていう(笑)。それを職場で同僚に話したら、さすがに「なんだお前、出汁も分からないのか」って笑われたぐらいのことはあって。

ゆ:その代わりっていうか、夫は買い物が大好き。というか、チラシが好きなんですよね(笑)。そういう経済的な観念はちゃんとあったね。

ひ:うん。安いところに買いに行こうと思っているから、いくつか調べて比べて…そういう買い物は好きだったので。生協も利用したし、土日にスーパーに一緒に行って。

ゆ:平日は買い物をする時間がなかったからね。でも、土日にまとめてたくさん作り置きをするとか、私にはそんな器用なことはとてもじゃないけどできない(笑)。

ひ:まぁ、2人で一緒にやっていく中で、あんまり突き詰めずおおらかにやるのが、うまくやるコツだというのを、どこかで気がついてたんじゃないかな。 

ゆ:2人とも大雑把なんですよね(笑)。だから、それでうまく成り立っていたかもしれない。

――ご自分の経験を踏まえて、育児をしながらのキャリア形成について、なにか思うとことはありますか?

ひ:さっき話したとおり、育休制度のない時代での子育てだったわけですが、僕は育児休業より「育児時間」の方が大切だと思っていて…というのは、男性の育休取得もようやく増えてきたものの、1~2歳まで、ほとんどのカップルで女性が育休を取っているわけで。社会の根底に「家事・育児は女性」という発想があるところが欧米と決定的に違っていて、変えなければならないところだと思うんですよね。分かち合って生きていくなら、どちらかが1~2年休むのではなくて、なるべく早く職場復帰した上で、男女ともに育児休業ではなく「育児時間」を取って柔軟に休みながら働ける仕組みにした方がいいんじゃないかと考えたんです。それで当時、男性も女性も「育児時間」をとれる社会にしようっていう運動をしていて、1989年に『男と女で「半分こ」イズム』っていう本を出したりして。

ゆ:当時は半休とれない会社もあって…私は介護もあって3人目を産んだ後は仕事を辞めてしまったんですが、一時ブランクがあってもまた働く方もいるので、女性としては体調のことも含めていろんな働き方ができる社会であってほしい。

家に蛍が入ってきた(!)30年前 多摩市で のびのび子育て

――お2人の柔軟な暮らし方・生き方は、30年前とは思えない、現代的な関係性だなと感じます。話は変わりますが、多摩市にまつわる子育てのエピソードなどあればお聞かせ下さい。

ひ:引っ越してきた当時、多摩川の河川敷で誘われて参加したBBQはほんとうに感動しました。多摩川の河川敷で誘われて参加したBBQはほんとうに感動しました。また、河川敷でできるようになるといいですね。空がとても大きく、時間もゆったりと流れていたように思います。親も子どもも多摩市に越してきて大きく変わりました。

ゆ:子どもをそこら中どこでも自由に、のびのび遊ばせてあげられました。まだ牛とかカエルもいて、田んぼが広がっていて自然が沢山あって。

ひ:引っ越してきた当初は、ベランダを開けると蛍が家の中に入ってきたね。その頃の生活は、雑誌『レタスクラブ』で当時連載されていた『お父さんの面積』という枠で取り上げてもらいました。百草園に向かうすごくいい散歩道とか、並木公園とか…小学校のPTAで活動していたころは多摩川に鮭を放流するとか、稲刈りとかも企画しました。子どもたちは3人とも大人になって元気にやっていますが、いろいろ大変な時期もありました。それ以外にも介護とか、いろんなことを乗り越えてきて…その原点には、とにかく一緒に、分かち合って、楽しくやるんだっていう考えだったんだと思います。私がジャーナリズムの世界から全く異なる社会に移ったというのは彼女にとっては一番の想定外でしたが(笑)。

ゆ:(笑)。

――それでは最後にお2人にうかがいます。お互いの好きなところは?

ひ:好きなところか…すべて好きなんだけど(笑)。おおらかになんでも許容してくれているところかな。

ゆ:なんでも話し合えるところ(笑)。

――すてきです!ありがとうございました~!

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