多摩市消防団の沿革

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ページ番号1001712  更新日 2026年3月5日

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多摩市消防団の沿革

現在、多摩市消防団は団本部、10個分団の体制で、消防の合言葉として現在まで語り継がれている「自分たちのまちは自分たちで守る」という精神をもって日頃から災害に備えた訓練を実施し、市民の生命、身体及び財産を災害から守ると共に、災害発生時には被害を最小限に防ぎ止める等、地域防災の中核的役割を担って防御活動にあたっている。

明治~昭和 消防組から消防団へ

明治初年頃より、各村に消防組[れ組(連光寺組)、せ組(関戸組)、か組(貝取組)、こ組(乞田組)、を組(落合組)、わ組(和田組)、て組(寺方組)、い組(一ノ宮組)等]を組織した。
 明治31年6月、多摩村議会において消防組を組織することが議決され、同34年2月、連光寺村本村地区に連光寺消防組が設置された。これが多摩村公設組織の始まりであり、以後各地区に設置された。この頃の器具は、竜吐水を手引きに改造して使用していた。
 明治43年10月、各地区の消防組を統一して多摩村消防組が設置され、組頭以下8部402名の消防手により組織された。大正時代になると、各部に腕用ポンプが導入され、昭和の初期まで唯一の消防器具として活躍した。
 昭和2年、一ノ宮地区に第九部が設置され、消防手484名、腕用ポンプ9台の組織となり、その範囲は村内全域となった。
 昭和3年3月、第一部において手引きガソリンポンプが導入され、近代消防装備に踏み切ったことは当時画期的であり、消防力は一段と強化された。しかし、他の部では昭和30年になるまで、依然として腕用ポンプが活躍していた。
 昭和6年、満州事変を契機に多摩村防護団が結成され、消防組もその構成団体となった。
 昭和14年4月、警防団令の施行と共に多摩村警防団が発足し、消防組は組織替えされ解消した。以後昭和22年4月まで警防団として日夜警備にあたり、消火活動の任務を遂行した。

 昭和22年4月、消防団令の施行と共に近代的な消防団が発足し、同年12月、消防組織法の公布により、翌23年3月、村長が管理する多摩村消防団が発足した。当時は9個分団、団員430名で組織され、消防装備は第一分団が手引きガソリンポンプで、その他は全て腕用ポンプであった。これを火災現場まで多数の団員で運び、全分団が駆けつけ、一致協力して消火活動を行い、その任務にあたっていた。

 昭和30年、連光寺下河原地区(第三分団)が府中市に編入され、8個分団となったが、翌31年4月には第一分団区域内の連光寺馬引沢地区が世帯増により独立し、第三分団を設置し、再び9個分団となった。この時の団員数は375名であった。
 昭和30年3月から翌31年10月にかけて、手引きポンプまたは可搬ポンプを全分団に導入したことにより、消防力は強化され、装備の近代化と共に消防団に対する期待感も大きくなっていった。
 昭和30年代後半に入ると宅地開発が進み、市街化され、消防力の強化・充実が求められたため、昭和36年12月、第二分団に消防ポンプ自動車を導入し、近代装備への強化が図られた。
 昭和39年4月、町制施行により多摩町消防団となり、この時の団員数は280名であった。同年5月より昭和42年1月にかけて全分団に消防ポンプ自動車が導入され、消防ポンプ自動車9台を装備する近代的な消防団となった。しかし、当時の消防団に関する運営や機械装備の経費は、現在と違いほとんど地元の自治会等で負担しており、近代的で高価な消防ポンプ車を装備したことは、当時の地域住民の消防への関心が非常に高かったことがうかがえる。

 昭和41年4月、多摩町消防本部を設置し、町役場内において消防職員2名で事務を開始した。発足当時は、人員等の事情から火災防御活動は依然として消防団に依存し、昭和42年12月から翌年3月にわたり、暫定措置として各分団の消防ポンプ車を本部に移動配置し、消防職員2名、消防団員2名の計4名で当直勤務を実施し、災害に対処する態勢を整えた。
 こうして昭和43年4月、都市化に見合った消防力の増強を図るため、消防本部に多摩消防署を併設し、消防職員18名、消防ポンプ自動車2台で常備消防業務を開始した。なお、昭和43年6月には東京消防庁と消防相互応援協定を締結し、火災及び救急発生時における警防態勢の強化を図った。また消防団においても、昭和44年11月に隣接市である八王子市、町田市及び日野市の各消防団と、昭和51年6月には稲城市消防団とそれぞれ消防団相互応援協定を締結し、万全を期した。

 昭和46年11月、市制施行により多摩市消防団となり、この時の団員数は226名であった。昭和48年12月、多摩ニュータウン開発に伴う町田市との境界変更により、町田市の一部が多摩市に編入され、翌年4月、編入された地区をもって第十分団を設置し、分団員数15名、可搬式小型動力ポンプ及び積載車を配備した。これにより多摩市消防団は10個分団、団員198名の編成となった。

 昭和50年8月、東京都の広域消防一元化による消防力の強化及び経費の削減と消防事務の合理化を目的として、消防団に係るもの及び消防水利施設に関するものを除いて東京都に常備消防の事務を委託し、多摩市消防本部は解消した。この時の常備消防力は、職員100名、消防ポンプ車5台(梯子車、化学車各1台)、救急車2台等であった。

 この頃になると、人口の急増と共に都市化が進み、多種多様化する災害及び大震災時の災害に対処するため、消防施設や装備のさらなる近代化並びに強化・充実が求められた。昭和52年からは、老朽化が著しい分団器具置場の建替事業に着手し、第十分団器具置場を皮切りに逐次整備し、昭和59年12月に第三分団器具置場の完成をもって全分団10棟の建替が完了した。規模は、鉄骨造2階建延床面積58平方メートルで、1階は消防ポンプ車の車庫及び資機材置場、2階は団員詰所となり、付属施設として火の見櫓、トイレ、土嚢置場等を備えた耐震性のある近代的器具置場となった。

 また、震災対策や狭隘による消防活動困難区域対策の一環として、昭和54年7月までに可搬式小型動力ポンプ(B3級)を全分団に配備し、消防力のさらなる強化を図ると共に、昭和55年度には発電機及び投光機一式を、さらにけが人等の応急救護に対応するため担架を、昭和57年度には救急セットをそれぞれ全分団に配備したことにより、多摩市消防団の装備力は一段と強化され、広範囲にわたる災害活動が可能となった。

 また、消防ポンプ自動車の老朽化が激しくなってきたため、昭和55・56年の2ヶ年で更新を行い、全ての分団に時代に即応した可搬式小型動力ポンプ積載可能な四輪駆動の消防ポンプ自動車(A2級)を配備し、一段と消防力を強化した。昭和54年4月、副団長の定数を1名増やして3名とし、第十分団の定数も5名増やして20名としたことにより、10個分団204名(団本部4名、分団200名)の定数となった。

 昭和61年度に市の防災対策の一環として防災行政無線を導入し、火災等災害時の情報連絡態勢を強化するため、消防ポンプ自動車にも移動系車載無線機を搭載し、消防活動の充実を図った。
 

平成初期~中期 消防装備の充実・地域消防力の向上

 平成元年5月には焼死者ゼロ3000日を達成、また同年10月、第19回東京都消防操法大会で第七分団が出場し、第三位に入賞している。


 平成3年8月に東京都・多摩市合同防災訓練を実施し、平成4年2月に焼死者ゼロ4000日を達成した。


 多摩市は近代的な都市へと変貌を遂げ、平成4年10月、都市型災害への対応を考慮する必要性が生じ、大型照明装置(500Wハロゲンライト2個)及び移動式投光器(500W)2基、2000W発電機、可搬式小型動力ポンプ(C-1級)、ホース延長用資機材等を装備した最新式の消防ポンプ自動車10台を一括更新し、装備の充実を図った。


 平成5年7月、焼死者ゼロ4500日を達成した。平成7年1月に発生した阪神・淡路大震災の教訓を生かすため、平成7年度には河川からの長距離送水訓練や早朝の参集訓練を実施した。

 平成8年度には携帯用ウインチや金テコ、ノコギリ等の手動式救助資器材を追加配備し、平成9年度にはチェーンソーやエンジンカッター、削岩機等の動力付救助資器材の配備を行い、大都市直下型地震に対応するための装備を充実させた。さらに、災害現場における消防団の指揮・統率力の充実や情報収集力の向上を図るため、消防団本部指揮車を新規に配備し、火災や風水害に対する消防団の消防力の充実を図った。
 また、友好都市である長野県富士見町消防団との交流会がきっかけとなり、消防団の活性化策としてラッパ隊を発足させた。平成17年度からは火災発生時の出動連絡の迅速性を高めるため、団員への出動連絡に電子メールによる連絡体制を導入し、迅速な出動体制の強化を図った。


 平成18年10月、消防ポンプ自動車が国のNoxPM法の規制により使用できなくなることから、従来の車両をベースにオートマチックミッションやスタッドレスタイヤのほか、後部ドアやキャブ屋根に数字による分団表示を採用、団員の安全性の向上のため、放水圧力制御装置や車体後部に梯子を、さらに積算流量計、無反動管装置、ディスクストレーナーや車体上部へ収納箱を装備した最新式の消防ポンプ自動車10台を一括更新し、装備の充実を図った。
 平成19年10月、第37回東京都消防操法大会において第九分団が出場し、第三位に入賞したのに続き、平成24年11月、第42回東京都消防操法大会において第六分団が出場し、初優勝を遂げた。
 

平成後期~現在 新たな時代へ

 平成25年4月より、災害対応や後方支援活動を強化するため、団本部に本部員及び女性消防団員を採用し、団本部組織の発展・充実を図った。平成26年10月に、団員の火災活動時の安全性を高めるため、最新式の防火服を配備し、多摩市総合防災訓練においてお披露目の放水を行った。

 平成27年5月、団本部指揮車及び10個分団の消防ポンプ自動車にAED(自動体外式除細動器)を配備。同年10月には、第45回東京都消防操法大会において第六分団が出場し、準優勝を果たす。平成28年9月には、消防団装備の充実を図るべく、倒壊家屋から要救助者を救助するための携帯用破壊工具レッドワンを10個分団に配備した。
 

 平成30年4月、オレンジの配色が増えたことによる夜間活動の視認性に優れる等の薄手の新基準活動服を全員に配備した。平成30年12月に、第九分団器具置場を小野神社敷地内に新築し、第九分団の活動拠点を一ノ宮の中心に位置する小野神社敷地内に移した。


 平成31年4月、女性消防団員活動のさらなる充実を目的として女性消防団員の定数を5名から10名に増員した。令和元年6月、夜間での活動時に周囲を明るく照らすためのバルーン投光器を10個分団に配備した。令和元年7月、喇叭隊員の確保と今後の活動の継続及び活性化に繋げるため、喇叭隊員活動に特化した機能別団員制度を導入し、機能別団員喇叭隊分として団員定数を20名増員した。令和元年9月、活動用資機材を運搬するための折りたたみ式リヤカーを10個分団に配備した。
 

 令和元年9月に、第二分団器具置場を改築し、これで平成26年度から開始した全10分団の改修及び新築工事が完了した。
 

 令和2年9月、各訓練や災害現場にて照明活動の電源を確保するために発電機と救助用資機材のチェンソー防護衣を10個分団に配備した。令和2年12月には、河川等の自然水利を使用した消火活動において低水位であっても吸水を可能とするためにフローティングストレーナーを10個分団に配備した。
 

 令和3年には、今後の消防団活動を見直すために消防団本部所属の本部員を中心に各10個分団から2名が参加し、「消防団活動見直し検討委員会」として6月、8月、11月にグループ討議を行い、各団員から出された意見を報告書としてまとめ市に報告した。
 令和4年7月、第35回多摩市消防団ポンプ操法大会の会場を変更し、多摩市立陸上競技場にて初めて開催した。同年11月の第50回東京都消防操法大会に第九分団が出場し、準優勝を果たした。
 令和5年9月には、震災時の建物火災における初期消火や水利の確保が困難な場面や河川敷における枯草火災での消火活動に役立つウォータージャケットを10個分団に配備した。
 

 令和6年10月、団本部へ災害時の情報収集を目的としドローンを1機、救命講習に使用する訓練用AEDセットを2セット配備した。

 令和7年1月、多摩中央公園が工事中のため、多摩市消防団出初式を永山で開催した。第一部式典はベルブ永山のベルブホール、第二部一斉放水は可搬ポンプを使用し、永山北公園で開催した。同年3月、団員2名が新たにドローンの操作資格を取得した。6月に3年ぶりに第36回多摩市消防団ポンプ操法大会を多摩市立陸上競技場で開催し、優勝した第六分団が同年10月の第50回東京都消防操法大会に出場した。

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