東京2020大会シリーズ 選手紹介(8) ※たま広報3月5日号に掲載した内容です
プロフィール
右代 啓祐(うしろ けいすけ)選手(十種競技)
国士舘大学体育学部 講師
男子十種競技で日本選手権6連覇、そして2018年のアジア大会で2大会連続金メダルという偉業を成し遂げた、右代啓祐選手(体育学部講師)。18歳で国士舘大学に入学して以来、多摩市とはずっと深い関わりがあるという右代選手にインタビューしました。
テレビなどメディアでの露出が増え、右代選手の話題も多く聞かれるようになりました
私には、十種競技というスポーツをもっと広めたいという強い思いがあります。
そのためであれば「こんな身体能力を持った人がいる」という驚きがきっかけでも構いません。
その入り口から陸上競技に興味を持っていただければうれしいです
十種競技を始めたきっかけは?
高校2年生までは走り高跳びが専門でした。不調をきっかけにやり投げにも挑戦したころ、当時の監督から「お前は運動神経がいいから八種競技をやってみろ」と勧められたのが始まりです。
その後、初出場の八種競技大会で地元の高校新記録をマークし、インターハイでも準優勝することができました。
上京後は多摩市が練習の拠点でしたか?
大学卒業後の大学院時代も、実業団時代もずっと、多摩キャンパスの陸上競技場で練習していました。
東京といっても、自然が多く練習に打ち込みやすい環境なのが多摩の魅力だと思います。
最も印象に残る試合は
転機となったという意味で、2009年の日本選手権です。競技1日目を終えた段階でトップで、日本選手権初優勝が確実といわれたのですが、そのときに「もし勝ったら…」という邪念が入ってしまい、優勝を逃してしまいました。
しかし試合終了後、大学陸上競技部の岡田雅次監督から「今回の戦いが失敗だとは思わない。今日からまたスタートしろ」と言われ、その一言で目が覚めました。その日の夜から走り込みを始め、文字通り再スタートを切ることができたのです。
その経験のおかげで、その翌年からの日本選手権では6連覇を達成することができました。
二度の五輪出場で、特に思い出深いことは?
日の丸を背負っていると同時に、幼い頃から夢見ていた「五輪のマーク」が現実に自分の胸に刻まれている特別な高揚感と重みを感じていました。特に最初に出場したロンドン大会は十種競技の人気が高い地域ということもあり、8万人収容のスタジアムが最上段まで隙間なく埋まっているという経験もしました。
試合が終わった時には、言いようのない達成感がありましたね。
休日はどんな過ごし方をしていますか?
自分一人の時間を楽しむというよりも、家族と過ごす時間を大切にしています。
妻や娘たちと過ごす時間は、何よりも活力の源になっています。
長期的な目標、ビジョンはありますか?
今後は恩返しの意味も込めて、スポーツを通して誰かの可能性を大きく変える側になりたいと思っています。
指導者としての具体的な目標は、陸上競技部の岡田監督です。
2020東京大会への意気込みを
東京大会に出場すれば3回目の五輪ということもあり、何としてでもメダルを取りたいです。
直近では4月からアジア選手権が行われるので、まずはそこで世界水準の記録を残したいですね。
いろいろなところで「メダルが欲しい」と公言しているので、有言実行できるようあらゆる努力をしていきます。
十種競技とは
2日間にわたって、100m走・走り幅跳び・砲丸投げ・走り高跳び・400m走・110mハードル・円盤投げ・棒高跳び・槍投げ・1500m走を行い、その合計点を競う競技。
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